文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

【歴史学者亡国論(25)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】 柄谷行人は『哲学の起源』の中で、ギリシャ哲学やそれ以前のイオニアの哲学などについて書いている。我々は、ギリシャの哲学やイオニアの哲学などについ、て、プラトンやアリストテレスの書き残した「 文献 」や「 史料 」を通してしか知らないが、プラトンやアリストテレスの書きのこした文献や史料は、明らかに 、ギリシャ哲学の観点から書かれている。従って ギリシャ哲学以前の哲学である「イオニアの哲学 」については、正確ではない。そこで、柄谷行人は、「 文

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歴史学者亡国論(25)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】

柄谷行人は『哲学の起源』の中で、ギリシャ哲学やそれ以前のイオニアの哲学などについて書いている。我々は、ギリシャの哲学やイオニアの哲学などについ、て、プラトンアリストテレスの書き残した「 文献 」や「 史料 」を通してしか知らないが、プラトンアリストテレスの書きのこした文献や史料は、明らかに 、ギリシャ哲学の観点から書かれている。従って
ギリシャ哲学以前の哲学である「イオニアの哲学 」については、正確ではない。そこで、柄谷行人は、「 文献 」や「 史料」から離れて、あるいは裏読みすることによって、「 イオニアの哲学 」について語ろうとする。柄谷行人によると、プラトン等の書き残したものとは違う「 イオニアの哲学 」が浮かび上がって来るという。呉座勇一は、不用意に、「史料のないところには歴史はない 」と断言するが、言うまでもなく 、「 史料のないところにも歴史はある」のであり、「 そもそも史料が信用出来ない場合も少なくない」のである。

《 ・・・史学概論などで歴史学の学生が最初に学ぶことは、「私たちは過去を直接体験することができないから、史料という媒介物を通じて過去に迫るしかない」ということである。すなわち「史料のないところに歴史はない」のである。ゆえに史料の発見・整理・解釈の技法が歴史学の根幹をなしている。・・・ 》( 八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか。2019年03月26日 06:01。呉座 勇一)

そもそも、史料に頼りすぎることは危険である。史料は、それを書いた人の「 主観」や「 戦略」「 願望」に基づいて書かれている。柄谷行人は、こう書いている。

イオニアの哲学に関しては、主としてプラトンアリストテレスによる史料しか残っていない。ゆえに、それは彼らが創った哲学史パースペクティブによってかたどられている。》(柄谷行人『哲学の起源』)

つまり、イオニアの哲学を知るためには、史料は信用できないのだ。むしろ 、この場合、誤解の種を撒き散らしているのが、史料だと言えるのである。呉座勇一は、東大大学院や京大大学院の国史学科のようなところでは、歴史史料の読み解き方を、厳しく訓練されているから 、資料の読み解き方にも史料批判にも、我々は自信があると言うかもしれないが、残念ながら、そんな単純なものではないだろう。医学や法律学の例を考えてみれば、一目瞭然だろう。医者や弁護士は、大学院や国家試験合格だけで、即、医療現場や弁護士活動で、通用するという事はありえない。歴史学や歴史研究においても変わりはないだろう。呉座勇一の言う「 厳しい訓練」による古文書の解読能力なんて、素人に毛の生えたようなものだろう。「在野の研究者 」は、史料もろくろく解読できないだろうと勘違いしているようだが、とんでもない勘違いであり 、東大大学院修了の「博士号拾得者 」であれば、なんでも読めると思うのは 、病的な誇大妄想である。そのことさえ、分かっていないのが呉座勇一やその仲間である。



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