文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『南洲伝』覚書(5)ー明治天皇と西郷南洲 ■昨日は、上野、不忍池の湖畔にある旧桐野利秋邸跡( 旧岩崎邸庭園 )に行ってきた。以前、数年前にここを通りかかったのだが、その時は、昔、ここに桐野利秋が住んでいたとは知らなかったので、門前を通り過ぎただけだった。今回、はじめて、中へ入った。元々は、新潟の高田藩の江戸屋敷だったらしい。徳川幕府が滅んでさびれていたのを桐野利秋が購入し、住まいにしていたのだろう。しかし、桐野利秋時代の面影は、おそらく残っていない。「 岩崎家 」二代目が購入して、洋館を新築したのだろう

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『南洲伝』覚書(5)ー明治天皇西郷南洲

■昨日(4/4@docomo.ne.jp )は、上野、不忍池の湖畔にある「 旧桐野利秋邸跡」(「 旧岩崎邸庭園」 )に行ってきた。以前、数年前にここを通りかかったのだが、その時は、昔、ここに桐野利秋が住んでいたとは知らなかったので、門前を通り過ぎただけだった。今回、はじめて、中へ入った。元々は、新潟の高田藩榊原家の江戸屋敷だったらしい。徳川幕府が滅んでさびれていたのを桐野利秋が、安く購入し、住まいにしていたのだろう。しかし、桐野利秋時代の面影は、おそらく残っていない。三菱財閥の「 岩崎家 」二代目が購入して、洋館を新築したのだろう。豪華だが無味乾燥な洋館が建っている。華美なな調度品や美術工芸品が並んでいたが、全く興味なし。成り上がりものの成金趣味や下品な自慢話など聞きたくも、見たくもない。桐野利秋時代の面影が残っているとすれば、その広大な敷地と古い樹木や燈籠・・・、吹きすぎる風、あるいは門から住宅へ向かう長い坂道などに・・・、かすかに残っているかもしれない。桐野利秋の手掛かりは、何処にもなかったが、わずかに小さな説明板に、「 桐野利秋」の名前があった。ほっと安心した。今は東京都が管理しているらしいから、「 旧桐野利秋邸跡」という小さな石塔でも、道路脇にでも建てておいて欲しいものだ、と思いつつ、長い坂道をくだった。桐野利秋も、この坂道をくだって、東京や新政府に別れをつげ、西郷を追って 、鹿児島へと帰って行ったのだろう。私は、比ぶべくもないないが、我が毒蛇山荘の坂道を思い出した。坂道に歴史と物語あり、だ。近くに、横山大観記念館があったので、そこにも立ち寄ってみたが、さすが重厚な記念館だった。成金趣味とは無縁な記念館だった。
■繰り返しになるが、大久保利通の緊急帰国は、征韓論騒動が理由ではない。帰国直後の大久保利通の関心事は、国内の政権が、大久保利通等が外遊している間に、すっかり西郷隆盛江藤新平板垣退助等に乗っ取られていたことだった。大久保利通は、「 征韓論騒動」が理由で緊急帰国したのではない。大久保利通は、「 征韓論」をネタに、明治天皇をも巻き込んで、主導権奪還の政権転覆(クーデター )を狙ったのである。大久保利通の言う「秘策あり 」とは、明治天皇を「 政治利用 」して、政権転覆( クーデター )を狙うことだった。西郷は、それを知って、明治天皇にも、その「 君側の奸 」どもにも、そして明治新政府にも愛想をつかしたのであった。辞表を叩きつけるや、しばらく雲隠れし、誰にも会わず、さっさと横浜から船に乗り、帰郷したのであった。西郷が、今更、大久保利通なんぞに「別れの挨拶 」などをしに行くはずがない。大久保邸を訪問し、最後の別れの挨拶をしたなどというのは、伊藤博文や高島鞆之助の「デマ証言 」に騙された司馬遼太郎のデッチ上げである。司馬遼太郎は、そう書くことで、大久保利通明治新政府を、美化し、擁護したかったのだろう。さすが、通俗的流行作家である。


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