文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『南洲伝』覚書(6)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論や西南戦争なしに西郷南洲(西郷隆盛 )はありえない。西郷は、「 失敗」し、「 敗北」し、「 偉大なる敗者」になったからこそ、西郷南洲なのだ。西郷が、勝ち続けて、幸せな老後をまっとうしていたら、西郷南洲はありえない。西郷は、失敗し、負けることが出来たからこそ、西郷南洲なのだ。負けることにも才能が必要なのだ。私は、鹿児島県の片田舎に生まれ、そこで育ったので、「 西郷さん 」については、かなり詳しく知っている。しかし、不思議なことに、西郷が、大活躍した明治

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『南洲伝』覚書(6)ー明治天皇西郷南洲

征韓論西南戦争なしに西郷南洲(西郷隆盛 )はありえない。西郷は、「 失敗」し、「 敗北」し、「 偉大なる敗者」になったからこそ、西郷南洲なのだ。西郷が、勝ち続けて、幸せな老後をまっとうしていたら、西郷南洲はありえない。西郷は、失敗し、負けることが出来たからこそ、西郷南洲なのだ。負けることにも才能が必要なのだ。私は、鹿児島県の片田舎に生まれ、そこで育ったので、「 西郷さん 」については、かなり詳しく知っている。しかし、不思議なことに、西郷が、大活躍した明治維新の頃の話をあまり知らなかった。それより征韓論論争に敗れ、さらに西南戦争で、田原坂の戦いをはじめ、南九州各地で惨敗し、最後は鹿児島の城山まで逃げ延び、そこで別府晋介介錯を受け、絶命する話の方が、詳しく知っていた。前にも書いたが、小学校の修学旅行で、初めて城山に登り、桜島を目の前にしながら、西郷にそっくりの老人から、西郷の「最後の死の場面」の話を聴いて感動したことが、今でも忘れられない。「 晋どん、もうここらでよかが 」という声が、耳にこびりついている。大活躍する西郷南洲ではなく、大失敗し、敗者として死んでいく西郷南洲。私にとっての西郷南洲は、敗者としての西郷南洲である。それで充分である。しかし、何故、成功者=西郷南洲ではなく、敗者=西郷南洲に共感するのか。私は、成功者や勝利者を擁護・賛美し、失敗者や敗北者を批判・蔑視する歴史小説や歴史研究書を読む度に、何か強烈な違和感を感じてきた。「 俗物どもが! 」と。彼等と私は、何かが違うという思いにとらわれるのが、いつものことだった。それが、私の存在論的な「原点」なのかもしれない。江藤淳が『南洲残影』で、初めて、西南戦争で惨めな負け戦を戦って、無惨に死んでいく西郷南洲を、肯定的に、思想的に描いたのを読んで、私は、私が感じていた「違和感」の理由を少し理解出来たように思った。私の大学時代の恩師であり、その後、弟子を自称した私にとって、思想的、学問的先導役であった江藤淳先生は 、こう書いている。

《 西郷は、あの勝ち目のない戦いを戦い抜くことによって、いったい何をいおうとしていたのか。それはそもそも言葉になるのか、しからざるか。 》( 『定本 南洲残影 』 文春学藝ライブラリー)

さすが、江藤淳である。歴史学者というクズどもとは違う。江藤淳が言おうとしていることは、思想であり、哲学であり、宗教の問題である。西郷は、「 人を相手にせず、天を相手にせよ 」と言った。「 天」とは、日本の天皇のことではない。それを超える「天 」である。では、西郷は、徹底的に「 負ける」ことによって、何を言おうとしたのか。




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