文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『南洲伝』覚書(7)ー明治天皇と西郷南洲。 我が師=江藤淳先生の『南洲残影』は 、「偉大なる敗北者=西郷隆盛 」を主題として描いている。「失敗への情熱 」を心中深くに秘めながら、まっしぐらに破滅=自滅へと突き進んでいく西郷南洲。歴史学者たちには、そういう発想はない。歴史的史料や文献をいくら正確に読み込んだとしても、そんなことは何処にも書いていない。では、書いていないことは、なかったことなのか。歴史学者にとっては、それでいいだろう。しかし、人間にとって「 歴史」とは、そういうものではない。「 歴史

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『南洲伝』覚書(7)ー明治天皇西郷南洲

我が師=江藤淳先生の『南洲残影』は 、「偉大なる敗北者=西郷隆盛 」を主題として描いている。「失敗への情熱 」を心中深くに秘めながら、まっしぐらに破滅=自滅へと突き進んでいく西郷南洲歴史学者たちには、そういう発想はない。歴史的史料や文献をいくら正確に読み込んだとしても、そんなことは何処にも書いていない。では、書いていないことは、なかったことなのか。歴史学者にとっては、それでいいだろう。しかし、人間にとって「 歴史」とは、そういうものではない。「 歴史」とは、歴史学者のためだけにあるのではない。人間は、「 歴史」を必要とする、その「 歴史」は、歴史学者の考える「歴史 」とは違う。江藤淳は書いている。
西南戦争という内乱は、敗者がほぼ完全に滅亡した戦いである。薩摩の士魂の最良のものは 、西郷とともに、西郷に殉じて滅びた。薩摩だけではない。熊本隊の池辺吉十郎も、飫肥隊の小倉処平も、佐土原隊の島津啓次郎や中津隊の増田宗太郎も、西郷を最後まで信じて次々と滅びて行った。》( 江藤淳『定本 南洲残影 』p220)
《 つまり、今日の日本人は、それほど成功を求めるのに急で、失敗に直面するのを恐れている。しかし、西郷が敗北し、城山の露と消えたとき、明治政府は果たして勝っていたのだろうか。政府もまたそのとき、取り返しのつかぬ失敗を露呈させたのではなかったか。 》( 江藤淳『定本 南洲残影 』p221)
《 だが私は、西南戦争を起こした西郷南洲と彼に殉じた人々に深く感謝したい気持を持っている。この壮絶な失敗は、絶対に日本国民の記憶があるから拭い去ることはできない。平家の滅亡と同様に、西郷の滅亡は忘れることのできるものではない。人間は不幸でちっともかまわない。失敗して何が悪いのか。それを直視するところからこそ勇気が出てくるからである。( 中略) 成功だけが目的の国家は卑しい国家である。われわれ日本人は、今こそ西郷が死を賭して後世に遺した無言の思想の含蓄を噛みしめ、「第二の敗戦 」といわれる現在の経済的混乱を好機として、新しい国づくりに立ち向かうべきではないか。》





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