文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『南洲伝』覚書(10)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論論争に関する歴史学者たちの歴史記述は当てにならない。露骨な勝者史観の立場からなされている気配がある。大久保利通が、後世の歴史学者たちの歴史記述に、かなり神経を使っているからだ。西郷南洲が、城山で戦死したという情報がもたらされた直後、大久保利通邸を訪問してきたのが、重野安繹(しげの=やすつぐ )だったことが、それを象徴している。重野は、言うまでもなく、後に東京帝国大学国史学科教授となり、「 近代実証主義史学 」を主張、確立する歴史学者である。この重野安繹

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『南洲伝』覚書(10)ー明治天皇西郷南洲

征韓論論争に関する歴史学者たちの歴史記述は当てにならない。露骨な勝者史観の立場からなされている気配がある。大久保利通が、後世の歴史学者たちの歴史記述に、かなり神経を使っているからだ。明らかに大久保利通は、西郷を死に追いやった張本人である。おそらく、誰もがそう考える。そこで、大久保利通を中心にして、「 大久保利通は犯人ではない」という歴史の改竄、歴史の隠蔽工作が始まる。「西郷殺し ( 西南戦争)」という歴史的史実を、「 無二の親友物語( 明治維新) 」へと摩り替えようという改竄工作(!!!)。西郷南洲が、城山で戦死したという情報がもたらされた直後、大久保利通邸を訪問してきたのが、重野安繹(しげの=やすつぐ )だったことが、それを象徴している。この時、大久保利通が重野安繹に語った話がある。島津久光に睨まれて、再び島流しにあう時の話。島津久光の怒りと処罰を伝達する役割だった大久保利通は、西郷と刺し違えて死ぬという心中を決意し、西郷に申し出たという。しかし、西郷は断った、という。この「 心中未遂事件」は、西郷の戦死後、大久保利通だけが証言している事件である。むろん、
裏付ける史料は何処にもない。大久保利通の、この話は、「作り話 」だろうと、私は思う。重野は、言うまでもなく、後に東京帝国大学国史学科教授となり、「 実証主義史学 」を主張し、「 近代実証主義史学 」を確立した歴史学者である。大久保利通の作り話を、そう易々と信じるはずがない。実証的根拠は何処にもない。しかし、この時の重野安繹は 、大久保利通の「 作り話」を信じている。言わば、歴史の捏造、歴史の改竄に協力している。この重野安繹は、元々、薩摩藩藩士で、しかも、西郷とは、いわゆる「 島流し」時代、共に奄美大島での流刑の身で、親しく交流したこともあり、西郷とは旧知の仲だった。が、西郷に対しては、性格が合わなかったらしく、終始 、批判的だった。多くの辛辣な「 西郷批判」の証言を残している。重野安繹は、むしろ、大久保利通と親しかった。重野安繹が、「 様子伺い」を兼ねて、大久保利通邸に駆けつけると、二人は、明らかに前後策を「 相談 」した気配がある。大久保利通が、重野に、「 西郷の伝記を書き残してくれ」と依頼したらしい。この大久保利通の言葉は複雑である。何故、西郷伝を書いてくれ、と依頼したのか。大久保利通は、自分が西郷を、死に追い込んだ張本人と思わるだろうことを、あらかじめ予想し、「悪評 」が伝わるだろうことを警戒している。そして数々の歴史の捏造工作と隠蔽工作を開始している。その一つが重野安繹とのやり取りであった。しかし、重野安繹は、本格的な西郷伝を書き残した様子はない。ただ、西郷批判の辛辣な証言を残しているだけである。司馬遼太郎も、『 翔ぶが如く』で、重要な証言者として重野安繹の名前を頻繁に記録している。西郷は、世評で言われているような「大人物」ではなく 、「好き嫌いの激しい 」「 狭量の人」だった 、と。歴史学者たちも大衆作家たちもも、これらの「 重野安繹証言」を真に受け、信用して、著作物で、頻繁に引用している。彼等も、大久保利通と重野安繹の歴史の捏造工作、歴史の改竄工作に加担しているように見える。たしかに重野安繹は優秀な人物ではあったが、私から見ると、機を見るに敏な、あまり信用出来ない人物であった
ように見える。この頃、重野安繹は、内務卿として国政を牛耳り、実質的な総理大臣だった大久保利通に積極的に接近していた。おそらく、自分を、売り込んでいたのだろう。しかも、後に、重野安繹は、自分の娘を、大久保利通の息子に嫁がせている。二人は、縁戚関係にまでなっている。「 重野安繹証言」は、信用出来ない、と思うのが普通であるようにに、私には見えるのだが・・・。しかし歴史学者たちの書いたものを読むと、その気配がない。この史料や証言は、どれだけ信用できるか、あるいは信用できないかという史料批判、証言批判がない。繰り返すが、歴史学者たちも、大久保利通や重野安繹の歴史の改竄工作や歴史の捏造工作に加担しているように見える。だからこそ、「在野の歴史研究家(笑)」でしかない文芸評論家・江藤淳は、一般庶民や婦女子や幼児たちが残した「 歌」や「 西郷伝説」に注目したのだろう。むしろ、そちらの方に「 歴史の真実 」ある、と。歴史学者たちが、西郷を批判すればするほど 、一般庶民や民衆は 、西郷を畏怖、尊敬、敬愛する。

( 続く)


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