文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

小林秀雄とベルグソンとマルクス(続 )。 マルクスは『資本論』の序文で、こう書いてる。 《でき上がった生体を研究するのは、生体細胞を研究するよりやさしいからである。そのうえに、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も科学的試薬も用いる わけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代らなければならぬ。 》(『資本論』第一版の序文 ) 「 顕微鏡も科学的試薬 も用いるわけにはいかぬ」とは、どういうことだろうか。マルクスは、ここで、科学的方法も、あるいは実証的方法も 実験的方法も、役にたたないと言っているように

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小林秀雄ベルグソンマルクス(続 )。

マルクスは『資本論』の序文で、こう書いてる。
《でき上がった生体を研究するのは、生体細胞を研究するよりやさしいからである。そのうえに、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も科学的試薬も用いる わけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代らなければならぬ。 》(『資本論』第一版の序文 )

「 顕微鏡も科学的試薬 も用いるわけにはいかぬ」とは、どういうことだろうか。マルクスは、ここで、科学的方法も、あるいは実証的方法も 実験的方法も、役にたたないと言っているように見える。そして唯一有効な方法は「抽象力 」だという。では、その「抽象力」とは何か。「 抽象力」こそ、真に科学的だというのだろうか。
ベルグソンは、思考法について、分析的方法と直観的方法を分けて論じている。ベルグソンの場合、「 顕微鏡や科学的試薬 ・・・」を使った方法が、分析的方法に当たり、「抽象力 」なるものが直観的方法 に当たるように見える。
小林秀雄が、ベルグソンを論じ、マルクスを論じ、しかも批判的にではなく、肯定的に論じる理由は、ここにある。小林秀雄は、明らかに保守=右翼陣営に属する批評家であり思想家である。保守=右翼陣営に属する人で、マルクスを肯定する人はいない。マルクスを頭ごなしに批判し、マルクス主義を一方的に否定するのが通例である。小林秀雄だけは違う。小林秀雄は、マルクス主義マルクス主義者は厳しく批判するが、その一方で、マルクスは肯定し、擁護する。小林秀雄は、マルクスの思考法を肯定し、擁護する。小林秀雄は、こんなことを言っている。
《 もしマルクスが『資本論』の代わりに「 芸術論 」を書いたとすれば、彼はプレハノフのようにトルストイ「 芸術とは何ぞや 」の解析からは始めなかったろう。率直に「アンナ・カレニナ 」 から、いや言葉の分析から始めたろう。》( 「マルクスの悟達 」 )
マルクスとプレハノフの違いは何処にあるのか。マルクスが、芸術作品という具体的な現実に向かうのに対し、プレハノフは、先ず、理論に向かう。現実と理論の差異、あるいは実践と理論の差異が、ここにはある。


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