文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

小林秀雄とマルクス(2) 小林秀雄は、マルクス主義者を批判したが、

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林秀雄とマルクス(2)

小林秀雄は、マルクス主義者を批判したが、何処を、どう批判したのか。小林秀雄は、マルクスマルクス主義も批判していない。マルクス主義者を批判しただけである。
《 然し、諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは 理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。 》

マルクス主義者たちは、『資本論 』の冒頭の商品論を読み、理解してはいるかもしれない。しかし、彼等自身が、「商品の魔術」というマルクスの商品論の恐ろしさの渦中に投げ込まれているということは理解できていない。小林秀雄は、ここで、マルクスの理論(商品論)を使って、マルクス主義者を批判している。「マルクス観念学」とは 、理論化され、体系化されたマルクス主義のことである。マルクス主義というマルクス観念学のことは、理解しているかもしれないが、そのマルクス観念学が、自分自身も含んでいるということに、無自覚である、と小林秀雄は言おうとしている。

《 商品は世を支配するとマルクス主義は語る。だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。 》

マルクス主義者の脳中を横行するマルクス主義という思想も商品である。それが商品である限り、「商品の魔術」を発揮している。小林秀雄によれば、実践を伴わないマルクス主義は、マルクスが批判した観念論である。唯物論であれ 、観念論であれ、それが単なる知識や情報として、理解されているかぎり、いづれも観念論である。

《 そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。 》

これはどういうことだろうか。「人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる」とは、どういうことか。
マルクスは『 資本論』で、こう書いている。
《商品は、一見したところ 、わかりきった 平凡な物に見える。だが、これを分析してみると、きわめてめんどうな物、形而上学的な小理屈や神学的な偏屈さでいっぱいの物であることがわかる。》(『 資本論』)

商品は、わかりきったものである。しかし、マルクスのいう「商品」は、わかりきっているが故に、難解なものである。
柄谷行人は、こう言っている。
《 『資本論 』という作品が卓越しているのは、それが資本性生産の秘密を暴露しているからではなく、このありふれた商品の” きわめて奇怪な”性質に対するマルクスの驚きにある。商品は一見すれば生産物でありさまざま使用価値であるが、よくみるならば、それは人間の意志をこえて動き出し、人間を拘束する一つの観念形態である。ここにすべてがふくまれている。既成の経済学体系は、ありふれた商品を奇怪なものとしてみる眼によって破られた。マルクスは、初めて商品あるいは価値形態を見出したのだ。》(『 マルクスその可能性の中心』)

小林秀雄が「商品の魔術」という時、柄谷行人が指摘しているようなマルクスの商品論のことを言っているのだ。マルクスは商品の魔術、あるいは商品の奇怪さに驚いているが、マルクス主義者たちは驚いていない。そこには決定的な差異がある。
さらに、柄谷行人は、小林秀雄について、こう言っている。
《明らかに、小林秀雄は、マルクスのいう商品が、物でも観念でもなく、いわば言葉であること、しかもそれらの「魔力」をとってしまえば物や観念すなわち「影」しかみあたらないことを語っている。この省察は、今日においても光っている。》(同上)

小林秀雄は、昭和4年の時点で、マルクスの『資本論 』の本質が「商品論」にあることを、見抜いていた。しかも商品論が、言語や思考の問題と同じだと見抜いていた。
『様々なる意匠』の冒頭で、小林秀雄は言っている。
《 吾々にとって幸福な亊か不幸な亊か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。(中略)而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。 》(『様々なる意匠』)
ここで、小林秀雄が、「魔術」という言葉を使っていることに注目したい。つまり、「商品の魔術」と言い、「言葉の魔術」と言い、別々のことを言っているのではない。言い換えれば、小林秀雄に言葉論とマルクスの商品論は、同じようなことを言っていると見て間違いない。
商品は世を支配するとは、言葉が世を支配するということである。つまり、我々、人間は「考える」のではなく、「考えさせられている」ということだ。それが「商品の魔術」であり、「言葉の魔術」である。小林秀雄は、こんな、謎めいた言葉も書き残している。
《みんな根性を捨て兼ねているのだ。マルクスとう人は、人間にとって最も捨て難い根性という宝を 捨て切ることの出来た達人であった。根性は一切他人に捧げて恥じぬ愛情に溢れた達人であった。》(『マルクスの悟達 』)
小林秀雄が言う「根性」とは何か。マルクスが捨て切ることの出来た「根性」とは 恐らく、イデオロギーのことだろう。マルクスは、イデオロギー、つまり「様々なる意匠」を捨てて、存在そのものと向き合うことの出来た「達人」だったとうわけだ。(続く)






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