文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『 江藤淳+吉本隆明全対話 』(中公文庫)を読みながら、私は「青春18切符の旅」に出た。 私は「芸術」が嫌いだ。「芸術論」が嫌いだ。私は「政治」が嫌いだ。「政治論」が嫌いだ。だから、私は、少年時代、「読書嫌い」だった。今でも、本質的に「読書嫌い」だ。そんな私の眠っていた読書欲を刺激し、大学時代の本棚を独占していたのが、『 江藤淳著作集』と『吉本隆明全著作集 』だった。この二つの著作集は、「芸術嫌い」、「政治嫌い」、「読書嫌い」の私の読書欲を 激しく刺激した。私は、なんの躊躇いも違和感もなく、二人の文章

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江藤淳吉本隆明全対話 』(中公文庫)を読みながら、私は「青春18切符の旅」に出た。

私は「芸術」が嫌いだ。「芸術論」が嫌いだ。私は「政治」が嫌いだ。「政治論」が嫌いだ。だから、私は、少年時代、「読書嫌い」だった。今でも、本質的に「読書嫌い」だ。そんな私の眠っていた読書欲を刺激し、大学時代の本棚を独占していたのが、『 江藤淳著作集』と『吉本隆明全著作集 』だった。この二つの著作集は、「芸術嫌い」、「政治嫌い」、「読書嫌い」の私の読書欲を 激しく刺激した。私は、なんの躊躇いも違和感もなく、二人の文章を、奇妙に聞こえるかもしれないが、同時並行的に、読んでいた。江藤淳吉本隆明は、「左翼嫌い」だった私を満足させた。同時に、二人は、「保守・右翼嫌い」だった私を満足させた。さらに二人は、「芸術嫌い」だった私を満足させた。何故だろう。何故、江藤淳吉本隆明だけが、「読書嫌い」の私にとって、例外だったのか。私は「論争」が好きだった。「批判」や「罵倒」や「悪罵雑言」が好きだった。私は、毒にも薬にもならない「美辞麗句」や、優等生の下手な「作文」や、愚鈍な知識人が愛好する「平和と民主主義」・・・が、嫌いだった。だから読みたい本はなかったのだ。読書が嫌いだったということは、そういうことだったのだ。ただし、江藤淳吉本隆明は例外だった。つまり、私が「芸術嫌い」だったのは、安っぽい、凡庸な芸術ではなく、もっと本質的な、革命的な芸術を探し求めていたからだろう。もっと、本質的な、もっと危険な、もっと恐ろしい芸術・・・。私が「政治嫌い」なのも同じだった。政治の本質は、革命と戦争、ファシズムテロリズムだろう。小市民的な「平和と民主主義」だけが政治ではないだろう。そんなことを思い出しながら、私は、今年の夏休みの「私の課題図書」(?)として、『 江藤淳吉本隆明全対話 』の文庫本を選んで、「青春18切符の旅」に持参してきた。本文は、もう何回読んだか忘れたが、再読、三読、四読・・・でも、飽きない。今回は、特に、文庫本の「解説」を書いている内田樹高橋源一郎の怪しく凡庸な「対談」をじっくり読み、粗探しをしたうえで、徹底的に批判・罵倒したいと思って、持参してきた。鈍行列車の車窓から、日本の辺境の原風景を、ぼんやりと眺めながら、読書三昧の旅を続けて来た。鈍行列車は、私の図書館であり、私の書斎である。