文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

毒蛇山荘でイノシシを食べながら『江藤淳 /吉本隆明全対話 』を読む。 小・中学校時代の同級生で、イノシシ・ハンターの友人(我が「毒蛇山荘」の近くで鶏肉店経営)から、イノシシの肉のブロックを貰ったので、早速、教えられイノシシの焼肉をサカナに、焼酎を飲みながら、『 江藤淳 /吉本隆明全対話を読む。

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毒蛇山荘でイノシシを食べながら『江藤淳 /吉本隆明全対話 』を読む。

小・中学校時代の同級生で、イノシシ・ハンターの友人(我が「毒蛇山荘」の近くで鶏肉店経営)から、イノシシの肉のブロックを貰ったので、早速、教えられた通りに調理して、焼肉にして食べてみた。柔らかくて、意外においしい。イノシシの焼肉をサカナに、焼酎を飲みながら、『 江藤淳 /吉本隆明全対話』を読む。イノシシ肉のパワーのせいか、ますます、頭が冴えてくる。江藤淳吉本隆明は、私が学生時代、左 /右論壇の二大巨頭であった。二人とも多くの読者を持っていた。しかも、不思議なことに、二人は、政治イデオロギー的には対局にありながら、思想的同志ででもあるかのように、和気藹々と、親密な対談を繰り返していた。二人のこの対談を、「馴れ合いだ・・・」と批判する人が、特に左派系の年配の人々に、少なくなかったのは、当然だろう。右派系の過激な論争家・江藤淳と左派系の過激な論争家・吉本隆明の対談は、明らかに不自然であった。普通なら憎悪を剥き出しにして、激突するところだろう。しかし、二人は、意見の相違を認めながら、親しげに対話を続けていた。これを、当時の若い人々は、不自然とは思わず、素直に、受け入れていたのではないか。少なくとも、あの時代は、そういう時代だった。現在とは、思想的レベルが違う。何処が違うのだろう。私の考えでは、現在は「イデオロギー」の時代であり、あの時代は、確かにイデオロギー的言説が、激しく飛び交っていたが、思想的には、「存在論」の時代だったということである。「存在論」とは、左右のイデオロギー対立を超えた地平にある議論の領域である。「善悪の彼岸」(ニーチェ)の思考である。江藤淳吉本隆明は、存在論の次元では、ともに「存在論的思考」を展開する「存在論的人間」だった。私は、その後 、連合赤軍や世界赤軍の生みの親とも言うべき 、左翼過激派の政治活動家の象徴的人物・塩見孝也氏と対談したことがあるが、塩見氏でさえ、「江藤淳」を高く評価していたことに驚いたことがある。少なくとも、あの時代は、そういう時代だった。自嘲気味に、「保守反動派」を自称していた私でさえ、左翼過激派の過激な政治活動には、無関心ではいられなかった。無関心どころではなかった。むしろ、私は、感嘆し、尊敬さえしていた。私は、 右翼過激派とも言うべき三島由紀夫の思想と行動を尊敬すると同時に、左翼過激派の思想と行動をも尊敬していた。私だけではなかったと思う。そういう時代に、政治思想や文学思想の領域で、先頭を走っていたのが江藤淳吉本隆明だった。『江藤淳 /吉本隆明全対話 』を読むと、あの時代が蘇ってくる。そして私が、「イデオロギーから存在論へ」と言う思想は、彼等の思考態度から学んだものである。
〓〓〓〓〓〓以下引用〓〓〓〓〓〓
『 〜ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでいる 街は喧噪と無関心によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お袂れだ〜

(吉本隆明「転位のための十篇」(1953年)より)』
〓〓〓〓〓〓引用終了〓〓〓〓〓〓
(続く)