文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『 南洲伝 』補遺(1)ー西郷と大久保の戦争ー西南戦争はまだ終わっていない。

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『 南洲伝 』補遺(1)ー西郷と大久保の戦争ー西南戦争はまだ終わっていない。

西郷南洲本家の五代目当主・西郷隆太郎氏夫妻と懇談し、お互いに確認したことは、「西南戦争はまだ終わっていない」という歴史認識だった。西南戦争とは、「明治六年政変」、つまり「征韓論論争」に始まる、近代日本の国家経営をめぐって、南九州の山野を戦場にした、日本を二分した最後の国内戦争であった。西郷南洲やその一派が、鹿児島の城山で、官軍の総攻撃の前に全滅することによって、西南戦争は終わったと言われているが、私は、そうは思はない。翌年の「紀尾井坂の変」、つまり、西郷軍残党(島田一郎等)による「大久保利通暗殺事件」、さらにその翌年の「川路利良病死事件」、あるいは「竹橋事件」へと続き、そして、現在の「歴史戦」や「思想戦」まで続いている。西南戦争は「昔ばなし」ではない。江藤淳は、『南洲残影 』で、南洲墓地を訪れた時の印象として、今にも、隊列を組んで、のっしのっしと進軍しそうだった、と書いている。

〓〓〓〓〓以下引用〓〓〓〓〓
《いまだに香華の絶えないこの墓地の前に立つと、錦江湾の景勝を見下ろし、桜島の噴煙と相対峙するこの場所から、西郷隆盛篠原国幹桐野利秋、以下が、麾下の軍勢を率き連れて、今にものっしのっしと進軍を開始しそうな幻想に囚えられる。桜島をはるかに越え、遠い南溟の海に向って、その幻の大軍団の進軍はつづけられる。》(『南洲残影 』エピローグ)
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さすが江藤淳である。江藤淳の描く「西郷南洲」は 、大衆通俗小説家の司馬遼太郎海音寺潮五郎林真理子・・・等の描く「西郷南洲」とは違う。江藤淳は 、大衆通俗小説家には見えない「何か」を見ている。さらに、江藤淳はこう書いている。

〓〓〓〓〓以下引用〓〓〓〓
《 このとき実は山県は、自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。陽明学でもない、「敬天愛人」ですらない、国粋主義でも、排外思想でもない、それらをすべて超えながら、日本人の心情を深く揺り動かして止まない「西郷南洲」という思想、マルクス主義アナーキズムもそのあらゆる変種も、近代化論もポスト・モダ二ズムも、日本人はかつて「西郷南洲」以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった。》(同上)
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江藤淳の言う「西郷南洲という思想」とは何か。マルクス主義アナーキズム 、近代化論、ポスト・モダ二ズム・・・というような思想のすべてを超える「西郷南洲という思想」とは、何か。「敬天愛人」という思想をも超えた「西郷南洲という思想」。私は、江藤淳が言っていることは、西郷南洲そのもの、西郷南洲の生き方そのもの、もしくは、西郷南洲の死に方そのものが、「思想」だということである、と思う。もっと分かりやすく言い換えると、誤解を恐れずに言うと、西郷南洲は「日本のイエス・キリスト」だということである。江藤淳が、「日本人はかつて『 西郷南洲 』以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった。」と言うのは、そういうことではないか。西郷南洲については、福澤諭吉を筆頭に中江兆民内村鑑三頭山満林房雄三島由紀夫橋川文三江藤淳等、一流の思想家が、左右を越えて、絶賛しているのは、そこに理由があるのからではないか。特に、私は、「日本のルソー」と言われた中江兆民の「西郷南洲論」に興味を持った。「中江兆民西郷南洲」。いったい、二人の間には、どういう関係があったのか。