文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『 南洲伝 』補遺(2)ー西郷と大久保の戦争ー「西南戦争」はまだ終わっていない。 西郷南洲と中江兆民。私は、まさか、そんなことはあるまい、と思っていた。まったく想像もしないことだった。中江兆民が、西郷南洲を尊敬し、西郷南洲の動向に深い関心をもっていた、ということだ。

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『 南洲伝 』補遺(2)ー西郷と大久保の戦争ー「西南戦争」はまだ終わっていない。

西郷南洲中江兆民。私は、まさか、そんなことはあるまい、と思っていた。まったく想像もしないことだった。中江兆民が、西郷南洲を尊敬し、西郷南洲の動向に深い関心をもっていた、ということだ。中江兆民は、征韓論で下野し 、鹿児島に引き籠ってしまった西郷を呼び戻し、中江兆民自身が助言者になり、西郷を首班とする新しい政府を築こうと画策していたことがあるというのだ。その計画を、島津久光に直訴したというのだ。中江兆民の弟子・幸徳秋水が書いた『兆民先生行状記 』に、その顛末が記されている。中江兆民と言えば 、ジャン・ジャック・ルソーである。「フランス革命の父=ルソー」。私は、この夏、熊本県の八代から人吉を経て、鹿児島県の隼人に至る「肥薩線」の鈍行列車の旅をした。八代駅で、3時間ぐらい 、列車を待たなければならなかった。待合室に「山頭火」のチラシがあり、すぐ近くに山頭火の句碑があるということが分かったので、時間つぶしも兼ねて、真夏の日中の炎天下だというのに、歩いて行くことにした。10分ぐらい歩くと、山頭火の句碑は、球磨川の川堤にあった。山頭火の句碑は、夏草に覆われて、何も読めなかったが、その隣に、なんと、宮崎八郎の戦没碑があった。私は、実は、山頭火より宮崎八郎に関心があった。私が、今、書いている『 南洲伝 』にとっても、欠かせない重要人物だ。宮崎滔天の長兄にあたる。この頃、宮崎八郎は、中江兆民に弟子入りし、その後、熊本に帰り、自由民権思想の普及に努力していた。その宮崎八郎は、西郷南洲が鹿児島で挙兵すると、直ちに熊本協同隊を結成し、西郷軍に投じ、西南戦争に参戦している。宮崎八郎は、中江兆民と同様に、西郷南洲に、「何か」を期待したのだろう。宮崎八郎は 、西郷南洲の中の「何を」を期待したのだろう。しかし、宮崎八郎は、川尻で、西郷軍に合流し、政府軍(官軍)と戦うが、この八代の「萩原堤」で戦死している。26歳だった。西郷軍(薩軍)は、時代の変化に乗り遅れた不平士族の集団で、思想的にも復古主義の集団だった、というのが歴史学界の通説のようだが、それが間違いだったことは、中江兆民の「仏学塾」で学び、「九州のルソー」と呼ばれた自由民権思想家・宮崎八郎が西郷軍に加わっていた例からも明らかである。西郷南洲及び西郷軍には、中江兆民宮崎八郎を思想的に引き寄せる「何ものか」があった、ということではないのか。