文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『 南洲伝 』補遺(4)ー西郷と大久保の戦争ー「西南戦争」はまだ終わっていない。 ■昨夜、再び鹿児島に戻りました。『9/7鹿児島大講演会(岩田温、稲村公望その他)の為です。 ■『大講演会in 鹿児島 』について。講師・岩田温 、稲村公望その他。9月7日(土曜日)、鹿児島中央駅前、キャンセビル7F。午後3時~午後6時。会費2000、学生無料。

『 南洲伝 』補遺(4)ー西郷と大久保の戦争ー「西南戦争」はまだ終わっていない。

■昨夜、再び鹿児島に戻りました。『9/7鹿児島大講演会(岩田温、稲村公望その他)の為です。

■『大講演会in 鹿児島 』について。講師・岩田温 、稲村公望その他。9月7日(土曜日)、鹿児島中央駅前、キャンセビル7F。午後3時~午後6時。会費2000、学生無料。

■文学や思想、学問の世界に、「論争」というものがあることを知った時 、私は、「生きた文学」「生きた思想」「生きた学問」があることが分かり、突然、思想や学問に目覚めた。鹿児島の高校生で、ちょうど受験生の頃だった。私は、受験勉強ではなく、本格的な思想や学問に夢中になった。70歳を超えた現在まで、それは続いている。思想や学問も、「闘い(論争)」である。「闘い(論争)」のない思想や学問は、「死んだ思想や学問」に過ぎない。
■今回、二回目を迎えた「大講演会in鹿児島」を、共にする岩田温も稲村公望も、激しい「論争家」であり「闘う政治学者」「闘う官僚」である。私が信用し、信頼するのは「イデオロギー」や「美辞麗句」ではなく、「闘う姿勢」である。闘うべき時に闘う、そういう闘う政治家、闘う学者、闘う官僚である。闘うべき時に逃げ、権力や流行、金銭に媚び、右顧左眄して、生き延びようと、画策する・・・逃げる政治家や逃げる学者や逃げる官僚を、私は信用しないし、信頼もしないのである。
西郷南洲の「戦争」や「政治」、「学問」について、私は、あまり興味がなかった。私にとっては、それらは、位あまでは今までは、「生きた問題」ではなかった。西郷南洲について、私は、鹿児島に生まれ、育った人間として、それなりにかなり詳しく知っているつもりだっt
た。しかし、その知識や情報は、通りいっぺんの知識や情報でしかなかった。要するに、薄っぺらな知識や情報しか持ちあわせていなかった。生きた知識や情報ではなかった。
■しかし、昨年のNHKの大河ドラマ西郷どん 』の予告編の話を聞いて、訳の分からない「怒り」を感じた。西郷南洲を称賛する振りをしながら、西郷南洲の思想と学問を冒涜するドラマではないのか、と。それから、急に「西郷南洲とは何か」「大久保利通とは何か」という「生きた問題」に目覚めた。図書館にこもり、関連資料や関連文献を、手当り次第、読み始めた。そして、ますます激しい「怒り」が、湧き上がってきた。この「怒り」は何だろう。西郷南洲を冒涜する者たちへの「怒り」か。今、日本で、何が起きているのか。「怒り」のないところに、思想も学問もない。もちろん文学もない。
■『西郷どん 』の時代考証を担当した鹿児島大学教授(鹿児島図書館館長)の歴史学者「原口泉」は、高校時代の同級生である。高校3年の時は、同じクラスだった。『文藝春秋』の「同級生交歓」にも、谷川道子(東京外語大教授)や村野健太郎(法政大教授)、紙屋敦之(早稲田大学教授)・・・らと並んで、原口泉も私も写っている。
■ところが、私は、原口泉には申し訳ないなあー、と思いつつ、歴史学者としての原口泉の「歴史学」と「時代考証」に違和感を感じ、次第に怒りを感じるようになった。原口泉は、「あれはドラマですから・・・」と「林真理子大先生(笑)」のデタラメを容認しているらしい。原口泉だけではなかった。資料や文献を読み込んでいくうちに、西郷南洲について書いている大衆作家・司馬遼太郎をはじめ、歴史小説家や歴史学者・・・たちに、激しい怒りを感じるようになった。「お前たちの西郷南洲研究は、根本的に間違っている!」「権力や時流に迎合することだけが文学や学問ではないだろう!」・・・と。

■「桐野作人」という鹿児島出身の歴史学者とうか歴史作家というか、私には、よく分からないが、物書きがいる。「南日本新聞」などにも、よく書いているはずだ。その桐野作人が、『薩摩の密偵桐野利秋 』という本(新書)を、書いているので読んでみた。なかなか面白い本だったが、大久保利通擁護の立ち位置から、桐野利秋西郷南洲を批判的に、侮蔑的に書いている。多分、最近の歴史学者たちのステレオタイプの「通説」「常識」にしたがったのだろうが、私には、怒り混じりの違和感が残った。桐野作人よ、お前は、征韓論西南戦争を、そういうふうに解釈するのか。勝者史観と結果論。お前は思想的には「敵」だな、と。
■話は変わるが、玉龍高校の近くにある南洲墓地という南洲神社を知っているだろうか。数年前、ここに、「恩讐を超えて・・・」とかいう不可解な慰霊碑が建てられた。そのことを知っているだろうか。南洲墓地の左手の土手の上に、それは立っている。南洲会館の右側に・・・。それと同時に、そこで、大久保利通の慰霊祭も行なわれ始めたらしい。南洲墓地を見下ろす丘の上で
大久保利通の慰霊祭。「恩讐を超えて・・・」だそうだ。おそらく多くの鹿児島県人は知らないのではないか。「恩讐を超えて」と言うが、実質的には大久保利通慰霊碑。この慰霊碑建設に主導的役割を果たしたのが、鹿児島市内の寺の住職で、「宮下某」とかいう怪しい人物らしい。しかも、協力者が「原口泉先生」らしい。原口泉が、どれだけ深く関わっているかも、私は知らない。原口泉も、宮下某らに騙され、利用されただけなのかもしれない。そもそも宮下某が、どういう人物か、私は、まったく知らない。宮下某が、「売名行為」の一環としてやったのだろう、と言う人もいるが・・・。私は、詳細を、東京で「敬天愛人の会」をやっている「内さん」という人から聴いた。それまでは、まったく知らなかった。
■先週、東京の新橋の某所で、西郷隆盛本家五代目当主・西郷隆太郎氏夫妻と、焼酎を呑みながら、南洲墓地の隣の敷地(鹿児島市)に建てられた 、この大久保利通慰霊碑の話もした。西郷隆太郎氏夫妻も、あまり詳しいことは言えないが 、ほぼ私と同意見だった。
大久保利通やその関係者たちが、西郷南洲や西郷軍(薩軍)の戦死者たちと和解したければ和解すればいい。何もその和解の儀式を、わざわざ南洲墓地で、やる必要も必然性もないだろう。何もその和解の儀式を、わざわざ南洲墓地で、やる必要も必然性もないだろう。南洲墓地に、怒りを抑えて静かに眠っている西南戦争の「死者たち」の霊をたたき起こして、「恩讐をこえて・・・」とか「和解の儀式」などと言いながら、傷痕を掻きむしっている、そんなことを、誰が望んでいるのか。大久保利通川路利良西郷従道黒田清隆・・・等の子孫たちだけだろうか。
■そもそも大久保利通の立像は、立派なものが、鹿児島中央駅の側の高見橋のたもとに、立っているではないか。絶好のポイントに立っているが、残念ながら、誰一人、振り向く人も、振り返って見る人もいない。(続く)