文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『 南洲伝 』余波(1)ー重野安繹と川口雪篷。 私が、あらためて西郷南洲=西郷隆盛に興味を持ち始めたのは、西郷が、二度も「島流し」にあって、奄美大島や徳之島、口永良部島という「絶海の孤島」で、罪人生活と孤独な時間を 、5年間も、過ごさざるをえなかったということを、知ったからだ。

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『 南洲伝 』余波(1)ー重野安繹と川口雪篷

私が、あらためて西郷南洲=西郷隆盛に興味を持ち始めたのは、西郷が、二度も「島流し」にあって、奄美大島や徳之島、口永良部島という「絶海の孤島」で、罪人生活と孤独な時間を 、5年間も、過ごさざるをえなかったということを、知ったからだ。これは、西郷にとって、一番大事な時期に、長期間、行動を禁止され、ひたすら、沈思黙考する時間を強いられたということを意味する。西郷にとって、この合計5年間の「幽閉生活」とは、何だったのだろうか。
西郷が、最初に「島流し」にあったのは、いわゆる「安政の大獄」で、江戸を逃れて 、月照らとともにに薩摩へ逃げ延びた時である。西郷と月照は、無事、逃げ延びたが、しかし、薩摩藩では、幕府の追っ手を恐れて、月照を「東目送り」に決める。「東目送り」とは、「日向送り」とも言うが、藩境(国境)で、殺すことである。西郷に、その役目が回ってきた。西郷は、この時、思想的同志であった月照を殺すわけにはいかず、月照との「心中」を決断する。これが、いわゆる「錦江湾入水心中事件」である。二人が飛び込んだのは、錦江湾の竜ヶ水あたりの海岸であった。桜島との間の三分の一ぐらいの沖である。しかし、月照は、絶命するが、西郷だけは生き返る。海岸沿いの民家に運び込まれ、息を吹き返す。その西郷・蘇生の家は、今も残っている
。しかし、生き返った 西郷は、幕府の目を逃れるために、奄美大島へ「島流し」になった。薩摩藩としては、あくまでも幕府の目を逃れるために、「島流し」という形をとって、西郷を、奄美大島に隠し、幽閉したのである。したがって、奄美大島時代の西郷は、厳密に言うと「島流し」ではなかった。しかし、西郷自身にとっては、やはり「島流し」だった。