文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

「地下室」は何処にあるのかー清水正小論(2) ・・・清水正は、17歳の時、ドストエフスキーの『 地下生活者の手記』(『 地下室の手記』)を読み、それを契機にドストエフスキーにはまり 、20歳で、まだ日大芸術学部の学生だった頃、最初のドストエフスキー論『ドストエフスキー体験 』を書き上げ、ゴム工場のアルバイトで貯めた資金で、自費出版した、と言う。これは、驚くべ話だ。しかも、それから現在まで、50年間 、毎年のように、『ドストエフスキー論 』を書きつづけ、自費出版しつづけてきた。これまた驚くべき話だ。しか

8・・・・にほんブログ村 政治ブログへ・・



「地下室」は何処にあるのかー清水正小論(2)・・・

清水正は、17歳の時、ドストエフスキーの『 地下生活者の手記』(『 地下室の手記』)を読み、それを契機にドストエフスキーにはまり 、20歳で、まだ日大芸術学部の学生だった頃、最初のドストエフスキー論『ドストエフスキー体験 』を書き上げ、ゴム工場のアルバイトで貯めた資金で、自費出版した、と言う。これは、驚くべ話だ。しかも、それから現在まで、50年間 、毎年のように、『ドストエフスキー論 』を書きつづけ、自費出版しつづけてきた。これまた驚くべき話だ。しかも、処女作以来 、ほぼ100パーセントが「自費出版」である。無論、日大芸術学部教授となってからも、「自費出版」は変わらなかった。書きたいものを書き、出版したいものを、出版したい時に、出版する。それが、清水正のポリシーだった。その成果が 、昨年、完結した。『 清水正ドストエフスキー論全集全10巻』である。ほぼ独力で成し遂げた成果である。しかも、さらに 、『 ドストエフスキー論全集全10巻』を企画しているらしい。こんな話は、日本近代文学史上で、聞いたことがない。前代未聞の話だ。
以上の話は、外面的な話だ。もっと内面的な、中味や内容に関する話をしよう。一つの具体例から始めよう。たとえば新潮文庫の『 罪と罰』について。新潮文庫の『 罪と罰』の翻訳者は、工藤精一郎である。ソーニャの父親である酔漢・マルメラードフが、ラスコーリニコフを相手に、長々と身の上話をする場面がある。そこで、最低の酔漢であるマルメラードフが、「あなたは、私が、『 豚ではない』と断言出来ますかな」と問いかける場面があるが、そこの翻訳で、工藤精一郎は、とんでもない誤訳をしでかしている。工藤は、『 豚ではない』という部分を『豚である 』と訳している。つまり「『 豚ではない』と断言出来ますかな」という部分を、「『 豚である』と断言出来ますかな」と。これは、ちょっとしたミスではない。『 罪と罰』の根幹思想にかかわっている。『 罪と罰』の根幹思想を理解していない人の犯す誤訳である。
工藤訳以外の訳を見てみると、ほぼ全員が、『 豚ではない』と訳している。米川正夫訳(角側文庫)でも、江川卓訳(岩浪文庫)でも、直近の亀山郁夫訳(小学館古典新訳文庫の)でも、「『 豚ではない』と断言出来ますか」という意味で訳している。こちらが正しい。ドストエフスキー愛読者やドストエフスキー研究者で、誰がこの「誤訳」に気づいているだろうか。おそらく誰も 、気づいていない。清水正以外は・・・。工藤精一郎(故人)も新潮社も、「誤訳」に気づいているかどうか分からないが、今のところ、完全に 無視・黙殺している。新潮文庫が 、一番売れているはずであるが、その新潮文庫が、決定的な「誤訳」を放置しているのだ。現在の日本の文化水準が、どの程度のものか、分かるだろう。
清水正は書いている。
《わたし処女作は、『ドストエフスキー体験 』 であって、『ドストエフスキー研究 』ではない。体験のない者に研究されてはたまらない。極端なことを言えば、ドストエフスキーの研究はドストエフスキーを体験した者だけに許されている。》(『 わがドストエフスキー体験を語る』)
(続く)