文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

浅田彰の正体(4) 浅田彰は、昭和天皇崩御に際して、皇居前に集まった日本国民を、「土人」と吐き捨てた。「土人」の一人として、言わせてもらうと、「浅田彰よ、それでは、お前は何者なんだ?」ということになる。多分 、浅田彰の頭の中には、「自分は『 土人』ではない。日本人と言うより、『非土人系日本人 』『高級日本人 』『 世界市民』である」というイメージが浮かんでいるのかもしれない。別に、浅田彰が、国立大学教員として「准公務員生活」を送りながら、どんな妄想に耽っていようと構わないが、その妄想を公言(公開)してい

・・・・にほんブログ村 政治ブログへ・・

浅田彰の正体(4)・・・ニセモノとしての「浅田彰」を論ず。

浅田彰は、昭和天皇崩御に際して、皇居前に集まった日本国民を、「土人」と吐き捨てた。「土人」の一人として、言わせてもらうと、「浅田彰よ、それでは、お前は何者なんだ?」ということになる。多分 、浅田彰の頭の中には、「自分は『 土人』ではない。日本人と言うより、『非土人系日本人 』『高級日本人 』『 世界市民』である」というイメージが浮かんでいるのかもしれない。別に、浅田彰が、国立大学教員として「准公務員生活」を送りながら、どんな妄想に耽っていようと構わないが、その妄想を公言(公開)している限り、それなりの反発や反撃、批判が待ち構えていることは覚悟しているだろう。ところで、「浅田彰批判」は、これまで、あまりなされてこなかった。浅田彰の「盟友」(?)であり、「保護者」(?)である蓮實重彦柄谷行人への批判は、少なくないが、浅田彰に対する批判は少ない。蓮實重彦柄谷行人は多くの著作を残している。しかし、浅田彰には、デビュー作『 構造と力』を除いて、まともな著作があまりない。名前だけが先行し実体はない。著作と言っても、対談集や雑文集が、ほとんどである。私は、それは、浅田彰という文化人が「ニセモノ」である証拠だと思う。つまり、浅田彰は、批判に値しない三流思想家であるが故に、これまで、まともな批判がなされてこなかったのだ。たとえば、日本国民を「土人」と呼んだ記録が明確に残っているにも関わらず、「土人」という言葉は、北一輝の『国体論及び純正社会主義』の中の言葉であり、それを引用しただけだと言い訳している。しかも、「文学界」編集部が、その部分を、編集の段階で、削除したのだと、見苦しい言い訳をしている。浅田彰は、「土人発言」の責任を、北一輝や「文学界」編集部に、「責任転嫁」しているのだ。これは、浅田彰という人間の本質を、あるいは浅田彰の思想の本質を現している。私が、浅田彰を、「ニセモノ」と呼ぶのはそういうことである。ニセモノなど、批判しても、しようがないだろう、という訳だ。しかし、そこに落とし穴がある。ニセモノとはいえ、批判に値しないとはいえ、私は、徹底的に批判する。「浅田彰」と「浅田彰的なもの」こそ、現代日本の根本的な病巣であり病根だからだ。「浅田彰二世」や「浅田彰三世」「・・・」が、「思想家ズラ」「学者ズラ」をして、我が物顔で横行しているのが現代日本の「論壇風景」である。「ニセモノ大国・日本」、それが、現在の日本である。日本が、世界の三流国に転落する所以である。ところで、浅田彰を批判した人がいなかったわけではない。ちなみに、浅田彰を、デビュー早々に、徹底的に批判したのは吉本隆明江藤淳である。まず、吉本隆明江藤淳を振り返りながら、浅田彰の「嘘」と「欺瞞」を、徹底的に追求していきたい。(続く)