文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

●浅田彰や柄谷行人には「存在論」がない。 ということは、「思想家失格」「文学者失格」ということだ。● 私は、最近、ほとんど、本屋さんに行かないのだが、しかし、本屋さんに行かないと、新刊の大事な本を見逃すことがある。今日、気がついたのだが、昨年、7月に、『小林秀雄 /江藤淳全対話』(中央公論社、中公文庫)という文庫本が出ていたらしいことが分かった。私にとっては、大事な、貴重な文庫本である。おそらく中身は、既に読んだものばかりだろうが、小林秀雄と江藤淳の対談が、文庫にまとめられているとすれば、見逃すことは出

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浅田彰柄谷行人には「存在論」がない。ということは、「思想家失格」「文学者失格」ということだ。

私は、最近、ほとんど、本屋さんに行かないのだが、しかし、本屋さんに行かないと、新刊の大事な本を見逃すことがある。今日、気がついたのだが、昨年、7月に、『小林秀雄 /江藤淳全対話』(中央公論社、中公文庫)という文庫本が出ていたらしいことが分かった。私にとっては、大事な、貴重な文庫本である。おそらく中身は、既に読んだものばかりだろうが、小林秀雄江藤淳の対談が、文庫にまとめられているとすれば、見逃すことは出来ない。『 柄谷行人 /浅田彰全対話』や『 吉本隆明 /江藤淳全対話』などに目を奪われているうちに、私にとっては、最も大事な「小林秀雄」と「江藤淳」の対談集のことは忘れていた。今日、その本を初めて手にして、感激すると同時に、深く反省した。「小林秀雄」も「江藤淳」も、私という存在にとって、血となり肉となった大先輩たちである。足を向けては寝られない文学者、思想家たちである。今、『 柄谷行人 /浅田彰全対話』と『 小林秀雄 /江藤淳全対話』とを比較しながら読んでいる。柄谷行人浅田彰の駄目さがよく分かってくる。彼等の『 全対話』には、「自分のこと」が、つまり「実存」が、語られていない。浅田彰の話が典型的だが、他人の話ばかりである。「デリダ」や「フーコー」や「・・・」や「・・・」。なるほど、勉強にはなる。しかし、「勉強」になるだけである。それは、「思想」や「実存」とは無関係である。「私が、そのために生き、そのために死にたいと思うような真理」(キルケゴール)とは無関係である。つまり、「存在論」がない。ーp
私は、最近、ほとんど、本屋さんに行かないのだが、しかし、本屋さんに行かないと、新刊の大事な本を見逃すことがある。今日、気がついたのだが、昨年、7月に、『小林秀雄 /江藤淳全対話』(中央公論社、中公文庫)という文庫本が出ていたらしいことが分かった。私にとっては、大事な、貴重な文庫本である。おそらく中身は、既に読んだものばかりだろうが、小林秀雄江藤淳の対談が、文庫にまとめられているとすれば、見逃すことは出来ない。『 柄谷行人 /浅田彰全対話』や『 吉本隆明 /江藤淳全対話』などに目を奪われているうちに、私にとっては、最も大事な「小林秀雄」と「江藤淳」の対談集のことは忘れていた。今日、その本を初めて手にして、感激すると同時に、深く反省した。「小林秀雄」も「江藤淳」も、私という存在にとって、血となり肉となった大先輩たちである。足を向けては寝られない文学者、思想家たちである。今、『 柄谷行人 /浅田彰全対話』と『 小林秀雄 /江藤淳全対話』とを比較しながら読んでいる。柄谷行人浅田彰の駄目さがよく分かってくる。彼等の『 全対話』には、「自分のこと」が、つまり「実存」が、語られていない。浅田彰の話が典型的だが、他人の話ばかりである。「デリダ」や「フーコー」や「・・・」や「・・・」。なるほど、勉強にはなる。しかし、「勉強」になるだけである。それは、「思想」や「実存」とは無関係である。「私が、そのために生き、そのために死にたいと思うような真理」(キルケゴール)とは無関係である。つまり、「存在論」がない。