哲学者=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

■帰り船■ 『 帰り船 』という歌があることを、日本人なら知らない人はないだろう。田端義夫という歌手が、終戦直後、歌ってヒットした歌謡曲である。子供の頃、この歌を聞いて、「ダサイ歌だなー」と思ったものだった。私は、八丈島か、何処かそこら辺の島あたりから帰ってくる遊覧船の歌だろうぐらいにしか想像していなかった。だから、歌の意味を深く考えてみようともしなかった。しかし、私は、40か50の頃に 、この『 帰り船』という歌謡曲が気になりだした。もう父も死んで、しばらくたっていた。(続く)

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帰り船。

『 帰り船 』という歌があることを、日本人なら知らない人はないだろう。田端義夫という歌手が、終戦直後、歌ってヒットした歌謡曲である。子供の頃、この歌を聞いて、「ダサイ歌だなー」と思ったものだった。私は、八丈島か、何処かそこら辺の島あたりから帰ってくる遊覧船の歌だろうぐらいにしか想像していなかった。だから、歌の意味を深く考えてみようともしなかった。しかし、私は、40か50の頃に 、この『 帰り船』という歌謡曲が気になりだした。もう父も死んで、しばらくたっていた。父と、何か関係ありそうな気がしてきたのだ。そして、その『 帰り船』という歌が、敗戦直後の、外地で生き残った日本兵の帰還船の歌だということを知って驚いた。「ダサイ歌だなー」などと軽々しく言ってはいけない歌だと、私は、恥ずかしながら、その時、初めて知った。
私の父は、田舎の教員だった。だから、戦争に徴兵されたのは 、最後も最後、終戦まじかであったらしい。その頃、父は、新婚時代で、桜島の小学校か中学校の教員をしていた。長男(私の長兄)が一人産まれたばかりで、戦争を知らないかのように、幸せの絶頂にあったかもしれない。ところが、そこの教職員住宅に、突然、徴兵の赤紙が・・・。母の話では、ある日の夕方、夕飯の支度をしていると、桜島の山の下の方から、教職員住宅を目ざして、坂道を登ってくる足音が響いて来たそうだ。母は、即座に、「アレだ」と感じたそうである。その夜に荷物をまとめ、翌日は薩摩半島の母の実家(「毒蛇山荘」)へと帰郷したのだ。父が、兵隊として送られたのは、終戦まじかの激戦地・沖縄の「南大東島」だった。幸いに、私の父は、生き延び、妻子の待つ故郷の土を踏むことが出来たという。とすれば、父は、文字通り「帰り船」で、帰って来たということだ。しかも、この時、命ながらえて、「帰り船」で帰還していなかったら、私は、この世に存在していなかったことになる。私は「昭和22年生まれ」である。
ところで、私は、今日、私の出生の秘密を語りたいわけでも、我が家の戦争体験を語りたいわけでもない。実は、西郷南洲の「帰り船」について、語りたいのである。西郷は、奄美大島での3年間の流刑生活の後、許されて帰国の途についた。その時、迎えに来たのが枕崎の「イサバ船」だった。イサバ船とは何か。イサバ船とは、一般的に漁業関係の輸送船のことらしい。少なくとも漁船ではなさそうだ。私は、枕崎の「カツオ船」だと思っていたが、違った。枕崎側の史料や文献からも、「イサバ船」が正しいだろう。先日 、独力では探し出せなかった「西郷南洲一泊の家」も、従兄弟の案内で、簡単に見つかった。石壁に小さな案内板があった。以前 、何回も歩き回ったが見つけ出せなかった場所だ。ここに間違いない。しかし、もう、そこに家はないようだった。西郷が一泊したという「立志清右衛門」の家の跡。近くに、「たてし産婦人科駐車場」という古い看板があった。これが、「立志清右衛門」の子孫だろうか。「立志」は「りっし」と読むのではなく、「たてし」と読むのだろうか。しかし、近くに病院らしい建物が見当たらない。一族は残っていないのだろうか。案内板にはイサバ船の絵も描かれている。海も港も、目の前だ。それにしても、イサバ船って、意外に小さな船だ。こういう船で、奄美大島を出発し 、嵐に会い、何回も途中の島に避難した挙句、西郷南洲は、ようやく枕崎の港にたどり着いたのだった。そして「立志清右衛門の家」に一泊。出迎えた弟たちと、藩内の政治情勢などについて、密談し、意見交換した。翌日は、慌ただしく、鹿児島へ向かったという。 西郷の「帰り船」は、枕崎のイサバ船だった。ここから、西郷南洲の物語は、始まる。

(続く)


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