哲学者=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

そろそろ、春休みを切り上げて上京しようかと思っている矢先に、志村けんが、コロナウイルスに感染し、入院中という情報が。普段 、あまりお前は山頭火か松尾芭蕉か、はたまた山下清か。(旧勝目村放浪記) 今朝(3 /23)、「毒蛇山荘」から「川辺K温泉」まで7キロ 、散歩がてら、歩いてみた。歩けるかどうか心配だったが、途中で道草を食いながら、どうにか歩ききった。我ながら、たいしたものだ。まだまだ捨てたものではない。時間はかかったが、歩けば歩けるものだ。かなり疲れたので、休憩してから温泉に入り 、今、また休憩室で休

そろそろ、春休みを切り上げて上京しようかと思っている矢先に、志村けんが、コロナウイルスに感染し、入院中という情報が。普段 、あまりお前は山頭火松尾芭蕉か、はたまた山下清か。(旧勝目村放浪記)

今朝(3 /23)、「毒蛇山荘」から「川辺K温泉」まで7キロ 、散歩がてら、歩いてみた。歩けるかどうか心配だったが、途中で道草を食いながら、どうにか歩ききった。我ながら、たいしたものだ。まだまだ捨てたものではない。時間はかかったが、歩けば歩けるものだ。かなり疲れたので、休憩してから温泉に入り 、今、また休憩室で休憩している。これから買い物をして帰る。帰りは、バスにしようと思っている。ところで、歩いていると 、至るところに、「不審者監視地域」という看板があった。ああ 、なるほど、確かに、私のような人物こそ「不審者」と言うべきだろう、と呟きながら、歩き続けたのであった。しかし、リュックを背負った白髪の老人(しらがのジジイ?)の姿を見て、行き交う人が、皆、挨拶してくれる。大人も中学生も、洗濯物を干していた主婦も・・・。明らかに警戒しているのだろうが、私は、それでも嬉しい。山頭火芭蕉、あるいは放浪の画家・山下清にでもなった気分だ。実は、この不審人物が、今日、7キロメートルの道を歩こうと決断したのには根拠があった。不審人物と言われようと言われまいと、警官に職務質問を受けようと受けまいと、私には、見たいものがあったのだ。私が生まれた頃は、この地域は、行政単位で言うと 、「勝目村」だった。小学校も、「勝目村立大丸小学校」だった。「村長」というのもいた。確か、村長は、「椎原敬四郎」さんという人であった。見たことはなかったが、子供でも名前だけは知っていた。今は 、合併に合併を重ねて、「南九州市」ということになっているが、私はそういうものにはほとんど興味がない。市長が誰だか知りもしない。あくまでも私の脳裏に焼き付いているのは 、「勝目村」 や「勝目村立大丸小学校」であって、「南九州市」や「南九州市立大丸小学校」ではない。と言うわけで、かつての我が「勝目村」の中心地が 、今 、どーなっているかを見てみたかったのだ。国道の整備のために、親国道が新設され、旧国道沿いにあった病院、郵便局、村役場 、武家屋敷などは、車やバスだと、見れないところがあるのだ。今日は、「歩き」だったから、途中、まわり道をしながら、それらを見て歩くことが出来て、ホッとした。勝目郵便局の建物 、椎原病院の建物とテニスコート、勝目小学校の校門、村役場の門、その周辺の水路、武家屋敷など。私の脳裏にしっかりと焼き付いていた子供の頃の記憶と映像に出会うことが出来た。郵便局の建物も椎原病院の建物も、そのまま残っていた。よく頑張って生き延びてくれたなーと感激しながら、撮影し、スマホに収めた。初めて郵便局の建物の中に、母親に連れられて 、入っていった時、足がガタガタ震えたことが、村の少年の感受性とともに、ヒリヒリと思い出される。私が、大江健三郎の小説に共感出来たのも、この田舎の少年の感受性を共有出来たからかもしれない。大江健三郎の田舎は、愛媛県の「大瀬村」だった。さて、郵便局の話だが、その郵便局の建物が、息も絶え絶えの状態で残されていた。もちろん、今は、使われていないが・・・。夢の中からさまよいだしてきたような姿で・・・。徳之島の郵便局の宿舎で生まれ、郵政官僚になったという稲村公望さんに、是非、見せてあげたいものだと思う。日本全国にあったであろう「村の郵便局」が、ここにもあったのだ。郵便局と水路を隔てて向かい側に「勝目小学校」と「椎原病院」があった。勝目小学校の石造りの校門は、山奥の 、そのまた山奥にある森の中の小さな小学校、我が大丸小学校の校門とは違って、立派だった。しかし、その勝目小学校は、残念なことに旧勝目中学校の跡地に移転して、今は、保育園か何かになっているらしい。子供たちの元気そうな声が聞こえる。しかし、私のノスタルジックな懐古趣味とは、合わないので、隣の「椎原病院」の方へ向かう。椎原病院も奥の方のテニスコートの周辺は、だいぶ改造されていて駐車場や老人ホームになったいたが、本館の医院の建物はそのまま残されていた。子供の頃 、見た時も、すでに古びていたが、今は、逆に若返ったように見える。それにしても 、立派だ。デイズニーランドのおとぎの国にでもありそうな・・・。村の優秀な子供たちが、医者を目指して勉学に励んだ理由が、今になると、よく分かる。私は、その成金趣味的な雰囲気が、嫌いだったが・・・。「椎原(しいはら)」という苗字は、西郷南洲の身内(叔父)にもいるが、勝目村の「椎原」と何か関係があるのだろうか。まだまだ勝目村の話は、NHK会長だった「川口幹夫」さんの実家のことなど、永遠に続くのだが、今日は、この辺で。けんに興味はないが、「コロナウイルス感染、入院中」には、ちょっとビックリ。初めて恐怖を感じてしまった。大学に予定を問い合わせると、4月28日に授業開始とか。えっ、5月の連休で、すぐ休みが続くんじゃないの。どーなっているのだろうか。後は、ホームページで確認してください、と。そうしていたら、先ごろ、稲村公望さんから携帯電話があり、もうしばらく、鹿児島にいた方がいいよ、というアドヴァイス。予定もあり、もうすっかり上京モードになっていたのだが、予定を変更してもらい、しばらく鹿児島「毒蛇山荘」で、様子を見ることにしました。皆様も、充分、気をつけて、お過ごしください。