哲学者=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

昨日は(21)、朝から、いつもは寝ているのだが・・・、春らしい、というより、初夏のような暖かい日だったので 、早起きして、ちょっと遠目の散歩に出た。齋藤先生(医者)は、毎朝、10キロメートル以上、歩くそうだが、10キロメートルは無理だが、2、3キロメートルなら、私にも出来るかもしれない。というわけで、大丸小学校を(「毒蛇山荘」から1キロ)目指して、散歩を開始。国道255線の歩道(ウオーキングコース)を歩き始めた。途中の河岸で、ひと休み。ここは、河川工事で整備されたばかりで、昔は、怖いところだったが、今は、

昨日は(21)、朝から、いつもは寝ているのだが・・・、

春らしい、というより、初夏のような暖かい日だったので 、早起きして、ちょっと遠目の散歩に出た。齋藤先生(医者)は、毎朝、10キロメートル以上、歩くそうだが、10キロメートルは無理だが、2、3キロメートルなら、私にも出来るかもしれない。というわけで、大丸小学校を(「毒蛇山荘」から1キロ)目指して、散歩を開始。国道255線の歩道(ウオーキングコース)を歩き始めた。途中の河岸で、ひと休み。ここは、河川工事で整備されたばかりで、昔は、怖いところだったが、今は、水遊びやキャンプも出来そうな水辺公園風の場所に変貌している。しかし、水辺へ、降りていく階段がない。仕方ない。植えたばかりの芝の堤防を、転びそうになりながら、降りてみた。広々とした川原が広がっている。実は、この河原や河岸の大部分は、私の家の田んぼだった。田植え 、稲刈り、台風と洪水・・・。この風景の中には、思い出が、いっぱい、詰まっている。ちょっと、下流に行ってみると、河底に 、鯉の影。ここ2、3年、探したが見つけ出せなかった。しかし、今日、何気なく、川面を見ていると、そこにいるではないか。2、3年前にもいたが 、最近 、見なかったので 、河川工事の影響で 、水深が浅くなり、危険を察知して、何処かへ避難したのかと思っていた。紛れもなく、同じ鯉だ。子供の頃だったら、釣り上げるか、浅瀬に追い込んだりして、捕まえて、すぐ食べていただろう。残念ながら、その頃は、小さな魚は、沢山いたが、鯉のような大きな魚はいなかった。今は、見るだけで満足。沢山、子供を産んで、川に鯉が溢れるぐらいになるといいなーと夢想するのであった。鯉が動き出したので、スマホで、動画を撮影。もう小学校は目の前なので、我が母校・大丸(おおまる)小学校へ向かう。小学校の校庭には誰もいない。校庭に入るのは、遠慮して、フェンス越しに眺めるだけにして、周辺を散策。ふと思い出して、水飲み場へ。小学校低学年の頃は、まだ、水道がなく、自然の地下水の湧き水があり、それを、飲み水や手洗いに使っていたような気がする。石で出来た綺麗な屋根や水汲み場もあったはずだ。今は、どーなっているだろうか。校庭から、だいぶ離れた所にあり、崖下にあった。昼食時間になると、手洗いをするために、崖を駆け下りて、水飲み場に殺到したものだった。田んぼの土手を歩いて行くと、確かに 、それらしい痕跡があった。しかし、雑草が生い茂り、当然だが、昔の面影はない。石の屋根や石段などはなくなっている。湧き水は、今もあるらしく、水が流れてる。当時は大量の岩清水が湧き出ていたが、今は、何処かで漏れているらしく、チョロチョロとかすかに流れているだけだ。私は、中国映画『 初恋の来た道』を思い出す。あの映画でも、水汲み場が、大きな舞台になっていた。田舎の小学校に、男性教師が赴任してくる。新しい先生の登場を待ち詫びる子供たち。先生を乗せた馬車が、砂煙をあげて、村へ。それを、丘の上から見ている少女たち。主人公の少女は、その男性教師と恋に落ち、やがて、結婚することになる。男性教師は、都会へ帰るチャンスが来るが、それを拒否して、村の小学校に残る。この映画は、田舎教師夫妻の息子が、父と母の恋の物語を、回想するというストーリーだった。・・・私の小学校では、そういう話はなかったが、若い先生たち同士の恋愛や結婚は、日常茶飯事だった。そう言えば、3月から4月は、先生たちの移動・転勤の季節だ。3月には、去って行く先生を見送り、4月には新しい先生を迎える。そこには、大きなドラマがあった。大学の教員などにはないドラマだ。